俗流マキャベリズムは「リアリズム」にあらず

id:the_sun_also_rises氏との議論の続きである。

前後の状況が分からないという方は、非常にお手数ですが

thesunalsorises.hatenablog.com

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等をお読みいただければなぁと思います。

 

id:the_sun_also_rises 「平和裏に行なわれていた運動を政府側が弾圧した」図式が欧米マスコミを席巻したら、政権批判の格好のネタになるし基地撤退論も出てくるでしょ。「米政府」は一枚岩

id:the_sun_also_rises だから、何故「エスカレート」した運動側が現地住民の一定の支持を得られる(得られなきゃ大した脅威にはならない)の?それって政治的な正統性が一応はあるか、政府の失政のせいでしょ?

2015/09/11 08:18

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id:the_sun_also_rises だから、何故「エスカレート」した運動側が現地住民の一定の支持を得られる(得られなきゃ大した脅威にはならない)の?それって政治的な正統性が一応はあるか、政府

id:ponkotsupon 大勢が集まると運動が変質するのは過去の学生運動とかでよく見てきたのでは?沖縄の運動がそうならず全ての政府の失政だと断定できるのはなぜ?僕は今の沖縄の抗議は稚拙で変質する危険が高いと思ってる。

2015/09/11 08:26

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id:the_sun_also_rises だから、何故「エスカレート」した運動側が現地住民の一定の支持を得られる(得られなきゃ大した脅威にはならない)の?それって政治的な正統性が一応はあるか、政府

id:the_sun_also_rises 運動が大衆の支持を得られなければ過激化しても恐れるに足らず、というのも学生運動の教訓だったと思うんですが。逆に過激派が広汎な支持を得られる状況って、政府の失政以外に何があるんです?

2015/09/11 08:51

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id:the_sun_also_rises 運動が大衆の支持を得られなければ過激化しても恐れるに足らず、というのも学生運動の教訓だったと思うんですが。逆に過激派が広汎な支持を得られる状況って、政府の

id:ponkotsupon 最近は情勢が変化していて極めて少数の過激な人間が大規模なテロを起こせるようになっている。仏や米の事件は覚えているでしょ?過激な人を生まないようにしないと大量の血が流れるんだよ。今は。

2015/09/11 08:53

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id:the_sun_also_rises 運動が大衆の支持を得られなければ過激化しても恐れるに足らず、というのも学生運動の教訓だったと思うんですが。逆に過激派が広汎な支持を得られる状況って、政府の

id:the_sun_also_rises だからいくらテロを起こしても、大衆的な支持を得られなければ大局的には自分の首を絞めるだけでしょ。東アジア反日武装戦線の末路を覚えてます?(あれだって当時は十分大規模テロだった)

2015/09/11 09:10

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id:the_sun_also_rises だからいくらテロを起こしても、大衆的な支持を得られなければ大局的には自分の首を絞めるだけでしょ。東アジア反日武装戦線の末路を覚えてます?(あれだって当時は

id:ponkotsupon これで最後にするけど僕はテロを起こさせたくないんだって。今の沖縄の稚拙なやり方だとそうなりかねないと危惧している。その危惧が同意できないなら平行線でしかないと思う。

2015/09/11 11:55

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id:the_sun_also_rises氏が決定的に見落としているのは(そして私としては何度も指摘していることなのだが)、重要なのは起ったテロ事件そのものではなく、それにどのような政治的・社会的意味が与えられ、国内・国外の世論がどのように反応し、どのような政治的・社会的変動がもたらされるか、である。

具体的な例えを使えば(そしてid:the_sun_also_rises氏がお嫌いであろう左翼運動の失敗を例に取れば)

日本赤軍東アジア反日武装戦線の起こしたテロ事件は、彼等の政治目的達成に何かしら貢献しましたか? 新左翼運動の伸長をもたらしましたか? 大衆的な支持を得られましたか?

ということである。

どれほど過激なテロを起こそうが、世論(あるいは地域住民)に支持されなければ何等政治的成果を挙げられないばかりか、狂信者扱いされて潜在的支持者にすら見放され、死に体になるのがオチである。

そんなテロ組織を恐れる必要など、少なくとも国家戦略・軍事戦略レベルでは皆無に近い。

 

逆にいえば、狂信的なテロ行為が「三分の理」を得たり、「政府側もどっちもどっち」扱いされて一定以上の支持を得られてしまう状況というのは、政府の治安政策にも大きな瑕疵があるのだ。

別にこれは倫理的な観点からだけ言っているのではない。

そもそも、現地住民のハーツ&マインズを掴んで(つまりそれ相応に住民の要求を聞いて)、過激派と地域住民を切り離すのは対テロ・対ゲリラ戦の大原則ではないだろうか?

「敵」を支持する住民はアホばかり、と叫んで回ったり、政府批判者をむやみやたらとテロリストシンパ扱いするのが、本当に「過激派を支持母体から切り離す」ことに繋がるのだろうか?

 

近代国家において、大衆社会において「政治」が行なわれている以上、「世論」や「理念」は全てではないとしても、一定の力を持つのだ。それは国際政治においてすら、時にそうである。

ましてこれは国内政治なのだ、現地住民(つまり有権者)の意向なり世論なりを放擲し、「敵の立場に立って考える」(「敵」の言い分を支持しろという意味ではない、念の為)ことを忘れた「政治分析」に、何の意味があるというのか?

 

 そういう分析しか出せないドグマ化した我流の「リアリズム」(道徳的価値に機会主義的な利用価値だけを見出す以上、俗流マキャベリズムというべきか)は、冷戦時代に高坂正堯永井陽之助が見せた、現実主義的国際政治論の精華とはほど遠いものだと、私は思うのだ。